落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

夏の幻、瞳閉じて

明日のわたしは、今日のわたしと違うかもしれません。でも、明日のわたしも、あなたを好きなままであることを自分自身の証として、支えとして生きることを望むと思います。

『美亜羽へ贈る拳銃』伴名練

 

 1 いまの私と、思春期だった私

 今年で24歳となった私だが、いまだに14歳から17歳頃の私から地続きでいまに至っているような感覚がある。もちろん私が私である以上人生というものは途切れることなく経過していくのだから過去から地続きでいまに至ることになんら間違いはないとはいえ、やはり当時の若さや青さを成年に達して数年経ったいまなお抱えてしまっていることに対する後ろめたさ、やり切れなさ、恥ずかしさ、そうしたけっして肯定的でない感情に襲われる機会は少なくない。

 与えられた制服に身をまとい中学生や高校生として教育を施されていた思春期だった私は、いまもまだ私の横に立っている。いまの私は、思春期だった私が立っていたスタート地点から抜け出せていないのだと気づき落胆する。なにも成長していない。なにも変わっていない。何かは変わっており、その変化量も小さくはないはずなのだが、プラスもなければマイナスもない時間をそう短くはない年数過ごしてしまっているような手ごたえのなさがただ不安だけを駆り立てる。 

 

2 中学生だった私

 あの頃私だった私は、自宅から徒歩15分ほど先にある公立の中学校へ通っていた。

 あの頃私だった私は、漫画を読むことや音楽を聴くことに多くの時間を割いていた。とりわけ音楽を聴くことに対しては強い熱意を抱いていた。

 あの頃私だった私は、いまの私が好むエレクトロニカアンビエントミュージックやノイズミュージックといったジャンルに括られる音楽がこの世に存在することすら知らず、2〜3年後に興味を示すようになるMGMTやVampire WeekendやArctic Monkeysなどの海の向こうのロック・ポップスといったジャンルに括られる音楽のこともまだ知らなかった。それどころか日本国内で流行っていたサカナクションBUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONといったロックバンドのことも知らなかった。

 あの頃の私は日本国内で流れる音楽のことしか知らなかった。日本国内のチャートを埋めるポップソングくらいしか知らなかった。そんなあの頃の私にとってとりわけ音楽とは、すなわちGARNET CROWというひと組の音楽グループのことだった。

 あの頃私だった私の日々は、GARNET CROWというひと組の音楽グループがつくりだす楽曲を聴くために存在していた。

 テレビアニメの主題歌として流れていたことをきっかけに聴いたGARNET CROWというグループは、私が中学二年生の頃にデビュー10周年を迎え、それまでに発表されたシングル曲をまとめたベストアルバムを発売した。アニメの主題歌として流れていた曲にどこか惹かれていた私は、なにかの拍子でその情報を知り、発売日に近所の書店でそのベストアルバムを購入した。それが自分の小遣いで買った初めての音楽アルバムだった。雪の降る2月のことだった。

 CDを買った経験もろくになかった少年に、いくつかの曲を聴いてこそいたが実態をよく知らない音楽グループのアルバムを発売日当日に購入へと向かわせる衝動がどこから発生したのか、いまの私にはもはや知る由もないが、あのときの異様な感情の昂りはいまだ記憶の片隅に気配を残している。

 CDを買い、帰宅した私はすぐにそのディスクを再生した。聴いたことのない曲が流れた。それらの曲は、当時テレビの音楽番組やドラマの主題歌として聴こえてきた耳馴染みのいいポップソングとはどこか雰囲気が異なり、どこか空疎で、どこか乾いていて、どこか陰鬱で、どこか擦れていて、どこか虚ろで、どこか寂しげだった。思春期特有の誇大した自意識を抱えていた私は、メジャーな音楽とは異なる格好のつけ方をしたその音楽が気になり、何度も何度も聴き返し、少しずつその像を捉え始め、少しずつ共鳴を感じ、いつしかその音楽に自己を投影するまでになった。

 それからの私は、ブックオフへ足繁く通い、GARNET CROWのアルバムを探し見つけ出しては購入した。なかなか見つからないアルバムは泣く泣くTSUTAYAでレンタルした。そうして彼らの曲を集めては、時間が許す限りひたすらに聴き続けた。

 彼らの曲を聴き続ける中で、私の価値観、道徳観、人生観、死生観といった類いが形成された。より具体的に言えば全楽曲の作詞を担当していたAZUKI七の書いた言葉によって形成された。音楽を聴き、歌詞カードを読み、歌詞をノートに書き出し、その意味を考えた。音楽にのって聴いたその言葉は、私の内面を形成し、GARNET CROWの言葉は私の言葉となった。

 私はGARNET CROWをとおして愛について考えた。幸せについて考えた。生死について考えた。正義について考えた。

 愛を理由になにかを求めることは愚かだと思った。

 愛することそれ自体が、愛されることそれ自体が幸福なのだと思った。

 幸福がさらなる幸福への欲を生み出し、愛は次第に歪んでしまうのだと思った。

 あなたを愛していられる日々が、愛するあなたがいる日々が、愛するあなたが私の名前を呼んでくれる何気ない日常が幸せであり、繰り返される日常からそうした幸せを見つけてあげることが愛なのだと思った。

 日常に潜むすべての愛は当人が気づく気づかないに関わらずいつか遠くへ消え去ってしまうのだと思った。

 それらが正しいのか間違っているのかはわからないが、少なくとも当時の私はそう思った。GARNET CROWによってそう規定された。同級生が口々に噂するクラスのだれがかわいいだとか、だれに惚れただとか、告っただとか、付き合っただとか、別れただとか、そうした少年少女の色恋話に関心を示せなかった私に愛を説いてくれたのは、私を導いてくれたのはGARNET CROWだった。

 そこで示された愛に、私の行動指針の多くは委ねられた。私にとって愛こそが正しさのベクトルだった。私は愛を原動力に学校へ送る日々を過ごした。高校へ進学し、音楽の好みが海外のロック・ポップスに移り、次第にGARNET CROWの音楽を聴く回数が減少しても、そこで育まれた愛という概念を見失うことはなかった。

 

3 いまの私

 いまの私はあまり音楽を聴かなくなった。

 いまの私は、時折エレクトロニカアンビエントミュージックやノイズミュージックといったジャンルに括られる音楽を好んで聴くが、以前ほどの熱意をもって音楽を聴く姿勢を有していなかった。

 音楽を通して愛を、幸せを、生死を、正義を考える機会はなくなった。

 いまの私は、あの頃から私が求めていたのは言葉だったのだと気づき、興味の対象は音楽から小説や言論などに移行している。それに伴って、言葉が付与された音楽を聴く機会も少なくなった。

 いまの私は、書籍を読むときも愛を求めている。私の行動指針たる愛をより強固にしてくれる言葉を探している。どこか空疎で、どこか擦れていて、どこか寂しげで、どこかキザで、どこかダサくて、そんな言葉を探している。いまの私の読書体験はいまだ中学生の頃に聴いたGARNET CROWに規定されており、いまの私のあらゆる言動もGARNET CROWに規定されている。それらは無意識のうちに行われており、GARNET CROWという固有名詞を思い返したりせずとも潜在的に機能しており、いまの私がふと過去を思い返したときに環境や趣味嗜好が大きく変わった今も中学生の頃の自分と同じ行動をしているだけなのだと気づくのである。

 過去を振り返り、環境や扱う対象や表現の仕方が異なるだけで過去と同じ指針に基づき同様の言動を反復しているだけなのだと気づく私は思うのである。

 私はなにも成長しておらず、なにも変わっていないのだと。

 

社会に適応すること、競技に、企業に、学業に適応することをひとは成長という。ぼくはどうやってもそれを肯定できそうにない。

『愛が嫌い』町屋良平 

 過去から不変の行動指針を抱くことが成長していないことになるのかはわからない。しかし、愛という虚構にとらわれ、愛という理想郷にたどり着くことを願い、愛を信仰し続けるべく、社会への適応から逃避し続けているいまの私を客観的に判断する私は、おまえは幼いままだ、いつまで思春期でいるつもりなのだ、もう若くはないのだ、もうおまえの青春は終わっているのだ、はやく大人になれ、といまの私に対し叱責する。

 自ら金銭を稼がなくては生活を営めない。自らの居場所も自ら見つけなくてはならない。黙っていても勝手に居場所を与えられ、勝手に人間関係が形成される期間はもう終わった。税金も納めなければならない。放っておくと口周りからひげだって生えてくる。社会的にも、身体的にも、環境的にも「大人」という状況へ移行しきっているなか、精神面だけが思春期に取り残されている。それゆえに職場で周囲の人と揉めたり、精神的な傷を負ったり、職場を辞めたりしている。

 私は大人へと成長できないまま、大人の世界に参加してしまっている。その事実をいまだ直視できずにいる。

 

4 GARNET CROWのこと

 GARNET CROWという音楽グループは2000年に『Mysterious Eyes』と『君の家に着くまでずっと走ってゆく』という二枚のシングルを同時リリースによってデビューした。前者の曲はアニメ『名探偵コナン』の主題歌として起用された。その後も『名探偵コナン』や『メルヘヴン』などの少年サンデー連載マンガ原作のテレビアニメに際しタイアップ曲として度々彼らの楽曲が使用された。

 漫画を読むことが好きで、特に少年サンデーを毎週愛読していた私にとって、アニメ主題歌となった彼らの楽曲は彼らの存在を明確に知る以前から馴染みが深かった。

 彼らの楽曲はポップソングであり、少年向けアニメの主題歌として使用される程度にはキャッチーなものであったが、例えば『Mysterious Eyes』はアメリカのシンガーSuzanne Vegaの代表曲『Luka』を元に作られていたり、最初のアルバム『first soundscope 〜水のない晴れた海へ〜』のジャケットではイギリスの音楽ユニットEverything But The Girlの『The Language Of Life』をオマージュしたデザインとなっているなど、英米のポップソングからの影響を隠さずに表現する傾向があり、国内ヒットチャートを埋めるようなヒットソングとは異なる趣があった。国内のヒットソングしか知らなかった当時の私を惹きつけるには十分な異質さが彼らにはあった。

 2010年に本格的に彼らの曲を聴き始め、彼らの活動に注目するようになった私だったが、その時点で既に彼らが作る新しい楽曲には飽和が見られ始めており、2013年にはその活動に終止符が打たれた。

 私が愛した音楽グループは、私が熱意を抱いてからわずか4年で活動を止めてしまった。しかし、彼らはいなくなってしまったが、私の手元には彼らが世に送り出したCDがあった。彼らの作った楽曲があった。今もなお、私は時折思い出したように彼らの曲を聴くことがある。

 

5 夏の幻、瞳閉じて

 四季折々、特定の天候、各通過儀礼、とある場所、とある個人、あらゆるシーンには個人が連想する音楽がある。音楽は体験に紐付き、思い出は音楽を引き連れてくる。その時々で耳を澄ますと聴こえてくる音楽がある。

 ある体験に付随した音楽を異なる音楽で上書きすることは難しいのだろうな、となんとなく思う。だから私自身の生き方への理念に付随した音楽がいまだに付いて回るのではないか、と。

 これを更新することはもうできないのではないかという気がする。更新してしまったら私は私でなくなってしまうのではないかとも思う。これまで私自身を支えてきた自分自身の証たる理念なのか対象なのかはわからないが、それを放棄し、社会というものに適応することはやはり怖いことで、心を決めて受け入れるなんてことが元来臆病な私にできるはずなどない。私はこの先も思春期の亡霊として生きることしかできないのだと思う。

 あの頃、私はけがれなき愛を探していた。けがれなき愛があると信じていた。世界は、社会は、大人は、汚れてしまった存在で、そこへ迎合しては愛にたどり着くこともないと思っていた。

 いま、私は正しさの剣を振りかざし、周囲の人々を傷つけては、愛にたどり着くためには必要な手段なのだと己を正当化し、社会への適応を拒み続けている。

 いつまでもこどものままではいられない。そうなのだと思う。だからいまの私はこの先の私を想像することができない。

 思えば14歳の頃から大人になった自分など想像できなかった。時が経てば勝手に大人になるのだろうと思っていたが、そうではなかった。

 あの頃から10年が経っている。生誕してから干支が二周もしたというのにまだこどものつもりでいる。

 いま、大人になりきれずに前職を辞めてから最初の夏を過ごしている。休職の申請をしたのがちょうど一年ほど前だ。

 気づけば8月も終わりで、まだまだ暑さは健在だが、朝晩はいくらか過ごしやすくなってきているように思う。

 こうして時間は過ぎ去る。黙々と世界は回る。時は淡々と何かを連れ去り、何かを連れ出してくる。

 ゆるやかな時の中を、私はただ部屋の窓から差し込む光を浴び、ぼーっとしながら青空に目を向け、気の向くままに飛行機雲を探してみたりしながら過ごす。

 それを肯定するのも否定するのも私自身でしかないのなら、私は私が信仰するものをただ信仰するしかないのかもしれないのかもしれない。

 毎年夏のうだるような暑さに不快感を抱きながらも、徐々に遠のいてしまうと感傷的な気持ちがわきあがってくのはなぜだろう。

 夏の幻。

 瞳閉じて、一番最初に君を思い出すよ。

 私が思い出すのは、もういなくなってしまったとある音楽グループだった。

 あらゆる苦難から逃避し続けるこの日々が、いつか終わる儚いゆめだったとしても。