落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

出不精

 根っからの出不精引きこもり体質であるものだから、なんらかの強制力でも働かないとワンルームの一室から一歩外に出ようなんて気にはさらさらならない。なんらかの強制力のひとつが労働であったわけだが労働をストップしている身分であるため、ついつい一日中部屋の壁を眺め続けてしまう。いくらなんでもこれでは精神衛生上よろしくないのでは、とごくごく平凡な発想に至り映画の予約を取るなどするが、毎日毎日映画を観に行っては今度は懐事情が気になってしまいそれはそれで精神衛生上よろしくないのでは、と対価ゼロで取り組める部屋の壁を眺める行為に来る日も来る日も励むのである。

 せめてブログでも書いてみようかとはてなブログを開いてみるのだが、どうにも書くことが思いつかない。そういえばひとは身体を動かしながらの方が思考ができるといった旨が度々本に記されている、明日は散歩にでも出てみようかと少し考えてみるが如何せん根っからの出不精引きこもり体質であるものだから実際散歩に繰り出すかどうかはかなり怪しいところだ。

 ブログ。要するに作文である。所詮個人が日記的に更新しているブログなど、主題が決まっていたりなんらかの制限があったりするわけでもないのだから、思いついたことを思いついたままに記せばいい。それが思いつかないというのであれば、それは端的に頭が悪いということになってしまうのでは、と己の頭の悪さに薄々気付いていながらも高いプライドでそれをひた隠しにして安泰した日々を送っている私の心に自らトゲを刺してしまうのだが、高いプライドを崩壊させるために下手な文章を定期的に書き綴り公開しているのだからトゲくらいドンとこいだ。高いプライドがあったところで、近隣住民から陽が当たらないとかなんとか苦情がくるだけなのだ、プライドの日照権である。ご近所さんの洗濯物がすぐ乾くくらいの高さに留めておきたいところだ。

 人間は世界に漂う波形を受け感じ取ったことを言語で記述することで事物を認識する。書くことがない、つまり言語で記すことが思いつかないということは世界を認識していないことになる、かもしれない。このワンルームの一室ですら多くのモノが散在しており、要するに散らかっており、それを記述しようと思えばいくらでもできるはずなのだ。根っからの出不精引きこもりとはいえ、日々なんらかの行動はしているのだ。記述できないとすれば、ワンルームの一室という世界を記述できない私に非がある。停滞したワンルームの一室を記述しきったとき、根っからの出不精引きこもりである私にも漸く外に出る理由が内部から湧き出してくるのではないだろうか。外の世界も記述してやろうという気概が出てくるのではないか。

 ここ最近は、外に出ない理由を考えるので必死だ。