落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

生活困窮日記18〜19日目

■17日目までのあらすじ

 文章を書くことは楽しいし、お酒を飲みながら人と話をすることも楽しい。

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■18日目

 生活を心配してくれた友人が宅配便を届けてくれた。箱を開けると華やかながら重みのある香りが鼻の奥を通り抜ける。箱の中は、コーヒー豆によって埋め尽くされている。
 コーヒー豆を送ってくれる旨はあらかじめ知らせを受けていたが、思っていた以上の量と種類の多さに驚く。しかし、これだけの量の贈り物をしてくれた事実に対する感謝の念が、すぐさま開封時の驚きを上回る。

 金銭的に切り詰めた生活を送ろうとすると、どうしても文化的なものに対する費用は削らざるを得ない。
 現に私は月々の収支を見直す中で真っ先にNetflixを解約した。Apple Musicを解約した。ニコニコチャンネルを解約した。雑誌の定期購読を解約した。外食はなるべく行かないと心に決め、映画館にはなるべく行かないと心に決め、読みたい書物がある際はなるべく図書館へ行こうと心に決めた。
 文化に触れられる状況は、生活に楽しみを設けられる状況は、余裕の証であると実感した。

 コーヒー豆の封を開ける。豆を10gほどすくい取り、コーヒーミルへ投入する。ハンドルを回し、ゴリゴリと音を響かせながら豆を挽く。ポットへ粉と化した豆を入れ、お湯を注ぎ、4分待つ。コーヒーの抽出を待つ4分間、わずかでありながら焦れったさをも感じさせるこの4分間は、空腹を満たすことや収入が発生することはなかったが、私に平穏をもたらした。安静をもたらした。いま目に映る光景を充たす、心地よい余白をもたらした。

 コーヒーをマグカップに注ぎ、一息ついたのち口に含む。温かな湯が舌の上を満たし、舌は温度の向こうに酸味を捉える。口内に甘い香りが広がる。

 素敵な贈り物は、上質なコーヒーであると同時に、コーヒーを嗜むという上質な余白でもあった。
 いや、与えられたものは今回のコーヒーだけではない。昨年、体調を崩し心療内科へ通い始めた頃からは特に多くの人に支えられてきた。多くの人から、安らぎを、喜びを、充実を与えられてきた。形の有無に留まらない数々の贈り物を受け取ってきた。
 私もいつか、困っている人、苦しんでいる人、大切な人、大切にしたい人が、一人では到達できない喜びの獲得を目指すとき、何らかの形で支えになり、力になることができるのだろうか。多くの人から受け取ってきた大きすぎる恩は、そんな疑問を私に投げかけてくる。
 コーヒー豆が生産されてからコーヒーとして私の喉元を通り過ぎるまでの過程にだって、どこかの誰かがどこかの誰かを思う気持ちが、多く錯綜してきているのだと思う。私の元に届いたコーヒーは、例え口にする者が私だけだったとしても、決して私だけのものではない。
 恩を返したいとか、困っている人を支えたいとか、そんな願いをただ抱くことは傲慢でしかないとわかっているつもりだ。それでもなお、いま受け取っている恩を、ここで途切らせることなく、未来へ繋げていくことができたらいいな、と思う。

 

■19日目

 午後からバイトへ入った。
 閉店までのシフトは初めてで、店閉めの作業を教わった。一つ一つの作業自体は単純なものばかりだったが、細かな作業を体で覚えるためには時間を要するだろうな、と思う。
 道具を洗浄し、消耗品を補充し、片付け、清掃をする。レジを締める。使用した数々のものを使用する前の状態へと戻す作業に、私たちは多くのエネルギーを費やす。
 生物だって、死後は土に還る。
 わかりやすくていいな、と思う。

 

■20〜21日目

 

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