落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

生活困窮日記16〜17日目

■15日目までのあらすじ

 19万円を手にして調子に乗る。

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■16日目

 ここのところ、暇な時間はゲーム実況動画を観て過ごすことが多い。特にゲーム実況者牛沢氏の動画は頻繁に再生しており、ここ数日は牛沢氏によるThe Sims 4の実況動画を観ている。
 その影響もあって今朝はThe Simsにインスパイアされた生活感の強い夢を見た。細かな内容までは覚えていない。
 夢を見ている最中の解像度は高いが、いざ目を覚ますと内容をさっぱり忘れてしまう、というケースが多く、朝からなにか損をした気分に陥る。解像度の高い夢を細かに覚えていると、夢と現実が錯綜し、生活に異常をきたしてしまうのだろうかと考えれば、脳という機能は元来明瞭な夢ほど忘却されるように設計されているのかもと納得がいく。
 だったら最初から夢なんてものを見せなければいいではないかと物申したくなるが、夢にも夢なりの事情があるのだろう。

 この日は市が業務提携している人材会社にて、求職についての面談を行う。
 人材会社では担当職員から、得意なことはありますか、と訊かれて答えに窮する。
 私は基本的に不器用だ。何をしてもうまく身体に馴染ませることができないし、物覚えもよくない。例え好きなことであっても、往々にして下手の横好きで終わるか、己の不器用さに幻滅して三日坊主で終わるかだ。
 つまり大抵のことは苦手で、得意かもしれないと思えていることがあったとしても相対的な理由でしかなく、自分にとってうまく適応できているだけで、客観的に見て秀でているとは到底思えない。

 持ち込んだ履歴書と職務経歴書を担当職員に提出する。文章が上手ですね、と褒めてもらう。文章を書くことを得意なことと言ってもいいのではないですか、と担当職員は更に続ける。

 いまも私は文章を書いている。作文は好きだ。だからブログも書きたくなる。文章を書いて、読んでもらうという快楽を求めてしまう。
 ブログを書いていると読んでいただいた方から、文章が上手ですね、と褒めてもらえることがたまにある。自分が書いた文章をおもしろいと言ってもらえることが一番嬉しい、と思い始めたのは高校生の頃からであっただろうか。
 私は作文が好きで、作文を褒めてもらえるのが何より嬉しくて、好きで書き続けていると時に誰かが褒めてくれて、それが嬉しいからまた書き続ける。
 好きと得意は異なるパラメータで、好きなことだからこそ得意と言い切りたくないものなのかも知れない。
 結局、私には私が文章を書くことが得意なのかはわからない。

 私に決められるのは好きかどうかだけです、得意かどうかはあなたの判断に委ねます。

 

■17日目

 早朝からバイトへ出向き、12時過ぎに勤務を終える。
 フォームドミルクの作り方を教わるが、例のごとく不器用を発揮し苦戦する。
 石橋を叩いて渡るタイプの私は、特に慣れない作業に対して大胆に動作することができず、慎重を図りすぎるがあまりに却って慌てふためき挙動不審が丸出しになってしまうのだが、その慌てようを見たスタッフの一人が、絵に描いたようなあたふたですね、と笑いながらも、慌てなくていいですよ、となだめてくれる。

 夜、友人が自宅に泊まりにくる。外食をしようと街をうろつき、金曜の夜でどのお店も満席の中、空いていた土間土間にたどり着く。
 お金がない、とあらかじめ詫びながらも中ジョッキ1杯とグラス1杯で生ビールを飲む。少し多めに支払ってもらったおかげでもあるが、自制を心がけると飲み過ぎず食べ過ぎず、程よい額で会計を済ませられることがわかった。
 スーパーで発泡酒やお菓子を買って自宅に戻り、友達をたくさん集めてボードゲームレトロゲームで遊びたいね、などと話をする。
 お酒を飲みながら人と話をするのは楽しい。

 

■18〜19日目 

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