落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

<過去/現在/未来>と選択と私

 私の目に映るこの世界は、私が選んだ世界であり、あなたが選んだ世界であり、また、私が選ばなかった全ての世界であり、あなたが選ばなかった全ての世界である。瞬間ごとに生じるあらゆる選択肢を、眺めて、迷い、躊躇いながら、選ぶ。選ばれる。選ばず。選ばない。
 雑多に選んでは捨て、収納し、投げ置いた時間の断片は、無意識下で無意味に編集され、意味として意識下に現れる。その構成物は絶え間なく姿形を変え続け、取捨選択を繰り返し、意味なき意味の飽くなき生成を実行する。
 私はあなたは、何かを目指し一つの可能性を選択をする。選択された可能性は更なる可能性を紡ぎ、紡がれた可能性のために選ばれた選択と化す。私はあなたは、選択のために選択をする。可能性のために可能性を選ぶ。選び、選ばれ、呼び起こし、離散し、忘失され、恣意の下に、集合する。

 過去に対し、選ばなかった可能性を選んでいたらより良い現在があったのではと思うことも少なくないが、私は過去を選ぶことができない。過去なる構造物は、解釈不可能な全ての過去を解釈可能な一部の過去として、認識不可能な超越的存在を認識可能な内在的存在として、単純ながらに燦然と姿を見せる。全てで、一部の、超越的である、内在的なその構築物を目にした、理解未満の理解の中で、私未満の私という、存在未満の存在として成立する私は、過去を前に呆然と立ち尽くす他なく、これが現在なのだと確認する。
 ただし、構築された過去は即座に分解される。それが私の救いであり、あなたの救いである。分解された過去は分解される以前の過去の上に再構築され、分解し、構築する。

 私は働いていた。労働を。仕事を。毎日。時々。
 私は働いていなかった。労働を。仕事を。全く。何一つ。
 雨は降ることにより雨と呼ばれ、降る前は雨と呼ばれることはなかった。雨となる前の雨の素材は素材でしかなく、雨であるかもしれないが雨そのものではなかった。雨そのものにはなれなかった。地に落ちた雨も同様に。
 労働環境にいながら労働を感じられなかった私は、私でいながら私であることを感じられず、時を経ながら時を経ることができなかった。
 私未満の私未満の私となった私は、私を失い、私に見捨てられ、私に否定された。
 私は休んだ。労働を。仕事を。時々。毎日。
 私は辞めることにした。労働以外の。仕事以外の。環境と。環境を。

 現在の私が私でなくなったのは、過去の私が私でなくなる可能性をいくつか選び取り、そのいくつかが何かの縁として集合したためである。ならば、私でなくなった現在の私が、私である私の断片を未来に投げ置くためには、過去を、現在を、私でなくなった私を、意識的に離散させる可能性を選択すべきだ。
 だから私は書き換える。過去を、現在を、未来を、私を。

 私でなくなった私もまた私であり、私である私はまた私ではない。私を構築する私は私であり、私を構築しない私もまた私であるが、私は私ではなく、私ではない私は私のための私となる。
 あらゆる理解は誤りであり、あらゆる認識は誤認である。誤りは誤りを認め、多様な解釈を許容する。だから過去の私は現在の私を生成し、否定し、破壊し、私を再生成する。私はあなたは、過去に選択しなかった可能性の選択こそできないが、過去に選択したあらゆる可能性の認識を変更することが可能である。私があなたが選び選ばなかった可能性の上に成り立つ、本稿を介する私とあなたとの接触は、私とあなたの過去の断片となり、いつか認識し、認識されることなく、私をあなたをここではないどこかへ導き、導くことはない。

 繰り返される循環を循環し循環され、私は私の世界を認識し、あなたはあなたの世界を認識する。私と、あなたが、再びどこかで出会う時、私が私で、あなたがあなたであるように。
 私はある可能性を選択する。
 あなたはある可能性を選択する。
 私があなたが選択したあらゆる可能性と選択しなかった全ての可能性が、私とあなたの交点を生じさせる。
 過去を悔いる必要などなく、私はあなたは、今ある美しさを愛でることしかできない。愛でることをすればいい。

 私は現職を辞める選択をする。その選択は次なる可能性を呼ぶ。呼ばないかもしれない。いや、呼ばなくてもいい。それが私であり、私以外の全てであり、自然であり、世界であり、そのいずれでもないのだから。