落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

私と労働

 ここのところ、職を辞そうかな、という気分になってきている。

 

 元々、25歳までには転職をしようとは考えていた。現在の職に就いた理由が「地元を出たい」「親元を離れたい」の2点だったため、就職に際して仕事に対する目的意識は全く持っていなかった。それでも一応「せっかくだから数年は身を固めておこう」と漠然とした根拠にならない根拠に基づき、なんとなく区切りの良い25歳まではいまの職を勤めようと思っていた。5の倍数ってどうして区切りよく思えるんでしょうね。

 

 就職してから今年で4年目である。1~2年目は気付かなかったが3年目であった昨年度、私が配属されている部署がどうにもぬるいことに気がついた。人が立ち去った直後の電車(中央線通勤快速高尾行)のシートのように、それはもうヌクヌクであった。人によっては、職場の雰囲気が緩い、仕事が易しいなどということは、喜ばしい条件にもなりうるのかもしれないが、私はそうは思えなかった。

 

 私はアホな高校へヘラヘラしながら通って、ヘラヘラしながら卒業し、大学にも行かずヘラヘラしながら就職した身であるのだが、それまで貫いていたそのヘラヘラしたスタンスのおかげで身についたものが何もないことに気づき、その愚かさを知り、20年の損失を取り戻すべくいかに時間の質を高めるかを考え、ぐうたらな自分をどれだけ追い込めるかに執着していたのが近年の心境であった。それゆえに、ぬるい構造の職場でのんびりとした人々に囲まれながら他人事のように仕事をする時間が週5日8時間もある生活は、日々焦りばかりが増幅していくような、どうにも耐えられるものではなかった。昨年度はとてももどかしい思いを抱えていた。

 

 もどかしい日々は続いたが4年目には異動できるだろうと希望を胸になんとか我慢をした。 急降下していく労働意欲に気付き、係長に「もうやる気がゼロです」と直接訴えながら、3月までの辛抱だと己に言い聞かせ、なんとか耐えた。

 しかし異動は叶いませんでした、と。

 

 4月に入り、これまでと同じぬるま湯へ浸かりながら、自分の人生を他者に委ねていたこと自体が変わらず愚かであったと痛感した。

 3月までの私は、生活環境に不満を抱きながらもそれを自ら解決しようとするのではなく、組織の人事を握る連中の裁量に己の運命の全てを預けていた。結果、何も変わらなかった。

 自らの環境に自らが納得いっていないのは、自らの望む環境を自ら築こうとしていないからなのでは、と思った。つまり、自分の人生の運命を顔も名前も知らない人事の適当な判断に任せていた自分の選択が誤りであったと判断した。

 

 そこで4月、自分がいま属しているコミュニティの空気をなんとか変えられないかと、以前とは違う行動指針を持って労働へ臨んだ。具体的に記すと、過去1年の間に抱えた不満を係長に直談判し、改善を提案するところから4月は始まった。

 しかしはっきりいってあんまり意味がないなと一ヶ月で悟りました、と。

 

 労働について最近よく思うのが、いかに内発的なモチベーションによって自分ごととして仕事できるかって結構重要だよな、ということ。基本的には多くの人が「生活のため」とかなんとかと、外発的な要因によって働かされているのが現状であるようにみえる。ただ、上でも少し触れたが週5日8時間もの時間を不満を抱えながら過ごすのって限りある人生においてものすごくもったいないことであるし、逆に言うとこの週5日8時間を内発的モチベーションによって動ければ毎日の幸福度が一気に向上するのだから、その状態を理想として目指しても良いよね、自発的に労働に当たっても良いよね、そんな意識を強く抱くようになった。要するに仕事に限らず自発的な時間をどれだけ増やせるかということに尽きるのだけど、ドラクエやってる感覚で仕事もできたら最強じゃないですか。

 それで、行動要因が内発的であるか否かを考えたとき、目的意識もなく就職したいまの職場で働くことは間違いなく否に分類されますよね、と。

 

 そんなようなことをぐるぐると考えているうちに、さっさと職を転じるべきなのでは?という段階にいま至っている。実際にどうするかはさておき、自分が労働に対してどう向き合っていくのかという課題は働き始めてからずっと抱えていたのだが、ようやく方向性が見えてきたのはひとつの進歩と捉えたい。

 

 仕事は一つのところで定年まで勤め上げるべき、みたいな近代的べき論が蔓延っている節は未だあるため、転職を考えていることに対し今後周囲からマイナス意見を受けることもあるかもしれないけど、自分の生きる道は自分で舵を切っていきたいから、自分がこれからどんな地図を描いていきたいのかを見失わないようにしたい。

 でも根本的にはめんどくさがりなんだよな、私は。