落葉文集

落ちて廃れた言葉の連なり

続・生活困窮日記 第一話

■前期までのあらすじ

・仕事を辞めた
・次の仕事が半年近く決まらなかった
・貯金が尽きそうになった
・生活が困窮している様子をブログに書くことにした
・一ヶ月程度で飽きた
 

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■続・生活困窮日記 第一話

 仕事をしていない期間のことを「人生の夏休み」だなんて言ったりする。いつ終わりが来るのかもわからず彷徨い続けるのが人生だ、要所要所で長い休暇も必要なことだろう。しかしどうして長い休みの比喩として「夏休み」が用いられてしまうのだろうか。もちろん学校に通っている頃には夏季に長期休暇期間が与えられるわけで、それを模しているだけであることはわかるのだが、しかし単純に考えて、暖かい夏の方が身体は活動的でいられるし、休むのなら寒さで身体も精神も縮こまってしまい布団から出ることすら困難である冬に休んだ方が効果的ではないだろうか。つまるところ人生に夏休みを設けるよりも、人生に冬眠を設ける方が適切なのではないだろうか。世知辛いことに世間は休むことに対してどこか厳しい。しかし眠りならば、眠りを省略して生活を送れる者などどこにも存在しない以上、そう易々と非難することなどできまい。他の生物に目をやれば冬季期間中はもっぱら睡眠に費やす連中も多々見受けられる。さらには睡眠はほとんど毎日行われる。休みは必要だ。しかし休みに向けられる風当たりは厳しい。ならば眠ろう。私たちはもっとゆっくり安らかに眠る時間を確保すべきなのだ。

 感染症の拡大が一向に留まることを知らない、と書き記す必要もないほどに留まるどころかその影響は大きく広がっている。外出時にマスク着用者の数を観察したり、鎖国どころか鎖宅すらしていく国際情勢を報道で確認してはグローバリズムってどうなるのかなとか、読みかけのウェルベックの小説はなんとなくこんな感じじゃあなかっただろうかとか、じぶんが感染したら医療費を払えないかもなとか、でもまあ致死率は低そうだし自宅で安静にしてれば治るのかなとか、なんやかんやでどうせ感染することはないだろうなとか、やはりどこか他人事のように思っていた。それが実生活に直接影響──それも悪い方の影響──を及ぼしてくる状況になったがためにこんなブログをまた書き出しているのだが、ブログを書いている余裕があるだけやはりまだどこか他人事でいるのかもしれない。

 公務員を退職し、半年ほどの無職期間を経たのちに、ブックカフェでアルバイトをしている。このアルバイトも気づけば雇われてから10ヶ月も経とうとしている。当初の考えでは半年ほど働いたのちにどこか他の企業に正規で雇ってもらえるようまた就活するつもりでいた。しかし水は低いところに流れるようで、月140時間程度の勤務時間の平穏さに安らぎを覚え、慣れきってしまい、もはやフルタイムで働くことなどできないのではないだろうかと諦めのような気持ちを抱いてしまったり、なぜか自主費用で本をつくることになったおかげで少し忙しくなったことを求職活動をしない言い訳に利用したり、それでもたまに求人に応募してみたもののやはり面接で落とされてしまったり、結局のところ時給1050円でのんきに労働に勤しむ生活に甘んじてしまっている。貯金など到底かなわないその日暮らし。プレッシャーのない緩んだ生活に甘んじている自分が悪いといえばそうなのかもしれない。

 そこに大打撃を与えてきたのがくだんの感染症だ。こちとらサービス業、ある種ひとであることを売りにひとと接する商売でもある。感染症の観点からすれば、ひとと接する以上は感染経路そのものでもある。うちの店は営業どうするんだろうねとはスタッフ間でちょこまかと世間話程度に交わされていたが、東京都知事の外出自粛要請を経て、ついに今日、明日から当面の間は営業時間の縮減と土日祝日の営業休止との宣告がなされた。当然のことながらその間の給料は出ない、職場からの補償もない、国からの補償もない。ついでに感染症の勢いが収束する見込みも当分ないといって構わないだろう。

 感染症の影響がウイルスに感染してしまうことだけであるはずがない。感染症のおそろしい点は、(現に死者が出ている以上は迂闊に言えないが、今回のそれが致死率がSARSなどと比べて相対的に低いという点においては)自らを含むある個人が感染してしまうことではなく、むしろ急速な感染拡大によって医療機関などがパンクしてしまうことの方だろう。しかし、感染症の問題が健康や医療だけの問題に限らず、医療機関のパンクを、急速な感染拡大を避けた結果として、経済などの社会機能がある程度停止してしまうという点については私自身もどこか楽観視していた部分は否めない。感染症は、人体だけでなく人間社会そのものに感染する。そして人間社会そのものに生じた症状は、人間個人の生活に症状を及ぼす。この手の比喩は危険かとは思いながらも、私個人はまだ感染していないが私の生活はすでに感染している。得られていた給料が得られなくなる、これまで営めていた生活が営めなくなる。端的に異常事態であろう。こうした異常事態に対し、社会という共同体がセーフティネットを張ってくれるものだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。じゃあ仕方ないねと納得するほど私は物分かりがいい方ではなく、セーフティネットの必要性の主張は意見として所持していくとして、ただし自らの生活における生存戦略としては国家の対応待ちではあまりに不安定で、権威に生活を委ねるというのも反権威的スタンスを取る以上はどこか情けなく、やはり自分でどうにかするところはどうにかするしかない。
 いちおう本件に際しての生活福祉資金(公的な借金制度)の特例措置が出ているようだから週末が明けたら社会福祉協議会なり役所なりに相談へ行くとしよう。生活福祉資金の申請に際しては、前回の生活困窮時に社会福祉協議会へ相談したらまず親に相談しろと言われ、親も低所得層かつ両親は別居中かつその両者とはいまや縁も希薄である私はその時点で申請を断念せざるを得なかった経験を思い出さざるをえないが、利子が付くことを問わなければ連帯保証人も不要であるようだ。そこは強気で攻めるべきだろう、利子がなんだ。それはそれとして公的権力に頼らず自ら稼がなくてはならない。あまり気が乗らないが派遣バイトへの応募も検討すべきだろう。幸い徒歩30分先には大手ビール工場があり、現在も求人は出ているようだ。経験上工場バイトの業務はあまり得意でないため精神衛生上やらないに越したことはないのだが、できるだけやらずに済む方法を模索しつつも、いざという時にはやはり選りすぐっている場合ではない。賃金を得ないことには生活を営めない。生活を営まないことにはブログも書けない、本も読めない、友人とも関われない、夢や理想も描けない。

 ということで、生活困窮日記 第二期のはじまりである。

夢見る頃を過ぎても──映画『空の青さを知る人よ』に寄せて

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※本記事は映画『空の青さを知る人よ』のネタバレを一部含みます

夢を見るとき、人は夢だけを見ているのではない。多くの人は、夢に付随する副産物もまた夢想する。
──樋口恭介(佐川恭一『受賞第一作』あとがき より)

 多くの者は夢をみる。未来に理想の自己像を描き、描いたとおりに人生を導けるよう努力する。夢をみて、夢を追い、夢が破れ、また新たな夢が描かれる。こうして挫折を繰り返しながらも夢を追い続けることは一般に尊いとされる。しかし繰り返された挫折の果てに叶えられた夢は、多くの者にとって当初描いた自己像とはまったく異なった、思いも寄らない形となって現れることだろう。自己像だけが夢ではなく、現実に自己とは環境に支配されているように、理想の自己なる存在も無意識ながらに環境に身を包んでおり、ある主体が環境を思うがままに操作することなど不可能なのだから。こうして部分的にのみ叶えられた夢は、ときに夢みた者にあきらめと絶望をももたらす。
 夢を描くとき、ほんとうに望んでいるのは理想の自己ではなく理想の状況だという場合もあるだろう。どこで夢が叶えられるか、だれと夢が叶えられるか、どのようにして夢が叶えられるか。その差は意識されることなく、夢の分岐点にて当人の判断を狂わせる原因にもなりうる。彼にとっても、どちらの夢が大切だったのか、それは夢が叶う瞬間や夢の選択を迫られる瞬間にわかることではなかったはずだ。
 彼とは、映画『空の青さを知る人よ』の主人公のひとり、〝しんの〟こと金室慎之介のことである。
 彼は夢を追って前へ進むことを選択し、また同時に夢を追って立ち止まることを選択した。通常、ある夢が選択されるとき、同時に叶えられたかもしれなかった別なる夢が失われる。無意識に描かれた夢が失われることに当人が気づくことはむずかしいが、彼の場合、失われた夢は霊的存在としてよみがえることとなる。

 彼は高校時代、ギターを弾いた。バンドを組み、ライブを行った。卒業後は東京へ出てミュージシャンになることを夢みた。 
 同時に、彼には愛する者がいた。彼が愛したそのひとは、彼がギターを弾くときいつもそばにいた。彼が愛したそのひとは彼とともに東京へ行くことを約束したが、それはある事情によって散ったひとつの夢となった。
 彼女は東京へ行けないことを彼に告げる。彼は戸惑い、迷った挙句、彼女への思いを一旦は封じ込め、大物ミュージシャンとなり彼女を迎えにくることを決意する。いや、あきらめることでしか前へ進むことができなかった。彼と彼女はその後音信不通となる。
 13年後、31歳となった彼はミュージシャンとなり、地域の音楽イベントへの出演をきっかけに地元へ戻る。晴れてプロのミュージシャンとなった一方で、大物演歌歌手のバックバンドの一員という形で果たされたその夢は、かつてはるかとおくに志したその姿からは大きくかけ離れていた。彼の夢は叶えられると同時に打ち砕かれ、そんな状況に彼自身も高校時代の陽気でポジティブな姿からは一転し、覇気を失い見た目も心もやつれ、未来などとうにあきらめていた。その横にとうぜん彼女はおらず、彼と彼女の再会も意に反するものとして訪れてしまう。
 彼が13年ぶりに地元へ帰還してしまったその日、彼が高校時代にバンドの練習場所として使用した神社のお堂に13年前の姿をした彼が実体のある生き霊として現れる。物語終盤に、現在の彼と高校時代の彼は対面する。

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 彼は彼女への思いを封じ込めることでしか前へ進めなかった。封じ込めた思いが解かれることはなかった。しかし封じ込めた思いが消えることもなかった。お堂に現れた生き霊としての彼は、封じ込めた思いそのものだった。
 彼は地元という地を再訪し記憶の扉を開くことで、高校時代のなにも知らずなにも怖いものがなかったがしかし夢を選択しきれなかった世界の彼、すなわち封じ込めていたはずの思いと対話を果たす。かつての彼は、いまの彼に向かって繰り返し言う。ダッセェと。そして、将来お前になってもいいかもしんねえって思わせてくれよと。 
 現在の自分という存在は、過去に重ねた選択の結果ではなく、過去に選び選ばなかったあらゆる選択肢の総体の揺らぎとして現れる。ゆえに、想起されたかつての自分、選択しなかった自分、前へ進めなかった自分によって再編集された現在は、現状や未来の認識をあらためさせることもあるだろう。現在を見つめ直し再構築する、それが思い出というものが有する機能だ。そうして再構築された自分には、過去の自分では認識不可能だったものまでもが見えてくることもあるはずだ。

 『空の青さを知る人よ』では、認識しているものごと──本作での例を挙げるなら住む土地や自己や他者、夢や恋心、愛情など──の内側に認識できていないものがさらに広がっているという構図が何度も描かれる。われわれは様々なものを見て聞いて触れて体験する過程でなにかを感じ、なにかを考え、なにかに気づく。しかし全体像をすべて把握することは不可能であり、あらゆる認識は世界の一面でしかなく一部でしかない。見て聞いて触れて体験する過程から得られるのは把握可能な一部の世界をわずかに拡張することに過ぎない。そしてわずかでも拡張できるからこそ体験を繰り返す。認識の解像度を少しずつ高めることによって、いつかその者にとっての重要な気づきが生まれるのだから。
 未来をあきらめた金室慎之介は、故郷に戻り、思い出の地を訪れ、内に宿る過去の自分と向き合った。過去を振り返った現在の彼が気づいたのは、愛していた者を愛していたという事実だった。かつての彼は愛する者を愛していることを自覚していながらそれを上回るほどに無自覚であった。自分が思う以上に彼女を愛していることに、彼が思い描く夢にはいつも彼女の姿があったことに13年の時を経てようやく気づいた。その気づきは、現在の彼がまだ夢へ向かう道のりの最中であることをも気づかせることになる。
 物語のラストで彼と彼女は車の中で会話をする。彼は言う。音楽もあなたもあきらめないと。直後に、Y字路で一時停止した車が右の通路へと曲がっていくシーンが挿入される。

 多くの者は夢をみる。その夢はときに部分的に叶えられることもあるだろう。しかし上述のとおり、原理的に夢は叶えられることはなく、その意味において夢自体が終わることもない。叶えてしまった夢や破れてしまった夢があったとして、それはほんとうに叶えてしまっていて破れてしまっているのだろうか。自ら、勝手に終わらせてしまっているだけなのではないだろうか。
 井の中の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る。井の中にいることを、大海を知らないことを知っている者が、その地から見える空の青さを知るとは限らない。知っていると思っている世界にもさらなる世界が隠れている。そして足元を知る者がなにかを拍子に空の青さを知るとき、さらにその奥にまたなにかが隠れていることだろう。われわれは果てなく認識を繰り返す。何度も何度も空の青さに気づくのだ。

夏の幻、瞳閉じて

明日のわたしは、今日のわたしと違うかもしれません。でも、明日のわたしも、あなたを好きなままであることを自分自身の証として、支えとして生きることを望むと思います。

『美亜羽へ贈る拳銃』伴名練

 

 1 いまの私と、思春期だった私

 今年で24歳となった私だが、いまだに14歳から17歳頃の私から地続きでいまに至っているような感覚がある。もちろん私が私である以上人生というものは途切れることなく経過していくのだから過去から地続きでいまに至ることになんら間違いはないとはいえ、やはり当時の若さや青さを成年に達して数年経ったいまなお抱えてしまっていることに対する後ろめたさ、やり切れなさ、恥ずかしさ、そうしたけっして肯定的でない感情に襲われる機会は少なくない。

 与えられた制服に身をまとい中学生や高校生として教育を施されていた思春期だった私は、いまもまだ私の横に立っている。いまの私は、思春期だった私が立っていたスタート地点から抜け出せていないのだと気づき落胆する。なにも成長していない。なにも変わっていない。何かは変わっており、その変化量も小さくはないはずなのだが、プラスもなければマイナスもない時間をそう短くはない年数過ごしてしまっているような手ごたえのなさがただ不安だけを駆り立てる。 

 

2 中学生だった私

 あの頃私だった私は、自宅から徒歩15分ほど先にある公立の中学校へ通っていた。

 あの頃私だった私は、漫画を読むことや音楽を聴くことに多くの時間を割いていた。とりわけ音楽を聴くことに対しては強い熱意を抱いていた。

 あの頃私だった私は、いまの私が好むエレクトロニカアンビエントミュージックやノイズミュージックといったジャンルに括られる音楽がこの世に存在することすら知らず、2〜3年後に興味を示すようになるMGMTやVampire WeekendやArctic Monkeysなどの海の向こうのロック・ポップスといったジャンルに括られる音楽のこともまだ知らなかった。それどころか日本国内で流行っていたサカナクションBUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONといったロックバンドのことも知らなかった。

 あの頃の私は日本国内で流れる音楽のことしか知らなかった。日本国内のチャートを埋めるポップソングくらいしか知らなかった。そんなあの頃の私にとってとりわけ音楽とは、すなわちGARNET CROWというひと組の音楽グループのことだった。

 あの頃私だった私の日々は、GARNET CROWというひと組の音楽グループがつくりだす楽曲を聴くために存在していた。

 テレビアニメの主題歌として流れていたことをきっかけに聴いたGARNET CROWというグループは、私が中学二年生の頃にデビュー10周年を迎え、それまでに発表されたシングル曲をまとめたベストアルバムを発売した。アニメの主題歌として流れていた曲にどこか惹かれていた私は、なにかの拍子でその情報を知り、発売日に近所の書店でそのベストアルバムを購入した。それが自分の小遣いで買った初めての音楽アルバムだった。雪の降る2月のことだった。

 CDを買った経験もろくになかった少年に、いくつかの曲を聴いてこそいたが実態をよく知らない音楽グループのアルバムを発売日当日に購入へと向かわせる衝動がどこから発生したのか、いまの私にはもはや知る由もないが、あのときの異様な感情の昂りはいまだ記憶の片隅に気配を残している。

 CDを買い、帰宅した私はすぐにそのディスクを再生した。聴いたことのない曲が流れた。それらの曲は、当時テレビの音楽番組やドラマの主題歌として聴こえてきた耳馴染みのいいポップソングとはどこか雰囲気が異なり、どこか空疎で、どこか乾いていて、どこか陰鬱で、どこか擦れていて、どこか虚ろで、どこか寂しげだった。思春期特有の誇大した自意識を抱えていた私は、メジャーな音楽とは異なる格好のつけ方をしたその音楽が気になり、何度も何度も聴き返し、少しずつその像を捉え始め、少しずつ共鳴を感じ、いつしかその音楽に自己を投影するまでになった。

 それからの私は、ブックオフへ足繁く通い、GARNET CROWのアルバムを探し見つけ出しては購入した。なかなか見つからないアルバムは泣く泣くTSUTAYAでレンタルした。そうして彼らの曲を集めては、時間が許す限りひたすらに聴き続けた。

 彼らの曲を聴き続ける中で、私の価値観、道徳観、人生観、死生観といった類いが形成された。より具体的に言えば全楽曲の作詞を担当していたAZUKI七の書いた言葉によって形成された。音楽を聴き、歌詞カードを読み、歌詞をノートに書き出し、その意味を考えた。音楽にのって聴いたその言葉は、私の内面を形成し、GARNET CROWの言葉は私の言葉となった。

 私はGARNET CROWをとおして愛について考えた。幸せについて考えた。生死について考えた。正義について考えた。

 愛を理由になにかを求めることは愚かだと思った。

 愛することそれ自体が、愛されることそれ自体が幸福なのだと思った。

 幸福がさらなる幸福への欲を生み出し、愛は次第に歪んでしまうのだと思った。

 あなたを愛していられる日々が、愛するあなたがいる日々が、愛するあなたが私の名前を呼んでくれる何気ない日常が幸せであり、繰り返される日常からそうした幸せを見つけてあげることが愛なのだと思った。

 日常に潜むすべての愛は当人が気づく気づかないに関わらずいつか遠くへ消え去ってしまうのだと思った。

 それらが正しいのか間違っているのかはわからないが、少なくとも当時の私はそう思った。GARNET CROWによってそう規定された。同級生が口々に噂するクラスのだれがかわいいだとか、だれに惚れただとか、告っただとか、付き合っただとか、別れただとか、そうした少年少女の色恋話に関心を示せなかった私に愛を説いてくれたのは、私を導いてくれたのはGARNET CROWだった。

 そこで示された愛に、私の行動指針の多くは委ねられた。私にとって愛こそが正しさのベクトルだった。私は愛を原動力に学校へ送る日々を過ごした。高校へ進学し、音楽の好みが海外のロック・ポップスに移り、次第にGARNET CROWの音楽を聴く回数が減少しても、そこで育まれた愛という概念を見失うことはなかった。

 

3 いまの私

 いまの私はあまり音楽を聴かなくなった。

 いまの私は、時折エレクトロニカアンビエントミュージックやノイズミュージックといったジャンルに括られる音楽を好んで聴くが、以前ほどの熱意をもって音楽を聴く姿勢を有していなかった。

 音楽を通して愛を、幸せを、生死を、正義を考える機会はなくなった。

 いまの私は、あの頃から私が求めていたのは言葉だったのだと気づき、興味の対象は音楽から小説や言論などに移行している。それに伴って、言葉が付与された音楽を聴く機会も少なくなった。

 いまの私は、書籍を読むときも愛を求めている。私の行動指針たる愛をより強固にしてくれる言葉を探している。どこか空疎で、どこか擦れていて、どこか寂しげで、どこかキザで、どこかダサくて、そんな言葉を探している。いまの私の読書体験はいまだ中学生の頃に聴いたGARNET CROWに規定されており、いまの私のあらゆる言動もGARNET CROWに規定されている。それらは無意識のうちに行われており、GARNET CROWという固有名詞を思い返したりせずとも潜在的に機能しており、いまの私がふと過去を思い返したときに環境や趣味嗜好が大きく変わった今も中学生の頃の自分と同じ行動をしているだけなのだと気づくのである。

 過去を振り返り、環境や扱う対象や表現の仕方が異なるだけで過去と同じ指針に基づき同様の言動を反復しているだけなのだと気づく私は思うのである。

 私はなにも成長しておらず、なにも変わっていないのだと。

 

社会に適応すること、競技に、企業に、学業に適応することをひとは成長という。ぼくはどうやってもそれを肯定できそうにない。

『愛が嫌い』町屋良平 

 過去から不変の行動指針を抱くことが成長していないことになるのかはわからない。しかし、愛という虚構にとらわれ、愛という理想郷にたどり着くことを願い、愛を信仰し続けるべく、社会への適応から逃避し続けているいまの私を客観的に判断する私は、おまえは幼いままだ、いつまで思春期でいるつもりなのだ、もう若くはないのだ、もうおまえの青春は終わっているのだ、はやく大人になれ、といまの私に対し叱責する。

 自ら金銭を稼がなくては生活を営めない。自らの居場所も自ら見つけなくてはならない。黙っていても勝手に居場所を与えられ、勝手に人間関係が形成される期間はもう終わった。税金も納めなければならない。放っておくと口周りからひげだって生えてくる。社会的にも、身体的にも、環境的にも「大人」という状況へ移行しきっているなか、精神面だけが思春期に取り残されている。それゆえに職場で周囲の人と揉めたり、精神的な傷を負ったり、職場を辞めたりしている。

 私は大人へと成長できないまま、大人の世界に参加してしまっている。その事実をいまだ直視できずにいる。

 

4 GARNET CROWのこと

 GARNET CROWという音楽グループは2000年に『Mysterious Eyes』と『君の家に着くまでずっと走ってゆく』という二枚のシングルを同時リリースによってデビューした。前者の曲はアニメ『名探偵コナン』の主題歌として起用された。その後も『名探偵コナン』や『メルヘヴン』などの少年サンデー連載マンガ原作のテレビアニメに際しタイアップ曲として度々彼らの楽曲が使用された。

 漫画を読むことが好きで、特に少年サンデーを毎週愛読していた私にとって、アニメ主題歌となった彼らの楽曲は彼らの存在を明確に知る以前から馴染みが深かった。

 彼らの楽曲はポップソングであり、少年向けアニメの主題歌として使用される程度にはキャッチーなものであったが、例えば『Mysterious Eyes』はアメリカのシンガーSuzanne Vegaの代表曲『Luka』を元に作られていたり、最初のアルバム『first soundscope 〜水のない晴れた海へ〜』のジャケットではイギリスの音楽ユニットEverything But The Girlの『The Language Of Life』をオマージュしたデザインとなっているなど、英米のポップソングからの影響を隠さずに表現する傾向があり、国内ヒットチャートを埋めるようなヒットソングとは異なる趣があった。国内のヒットソングしか知らなかった当時の私を惹きつけるには十分な異質さが彼らにはあった。

 2010年に本格的に彼らの曲を聴き始め、彼らの活動に注目するようになった私だったが、その時点で既に彼らが作る新しい楽曲には飽和が見られ始めており、2013年にはその活動に終止符が打たれた。

 私が愛した音楽グループは、私が熱意を抱いてからわずか4年で活動を止めてしまった。しかし、彼らはいなくなってしまったが、私の手元には彼らが世に送り出したCDがあった。彼らの作った楽曲があった。今もなお、私は時折思い出したように彼らの曲を聴くことがある。

 

5 夏の幻、瞳閉じて

 四季折々、特定の天候、各通過儀礼、とある場所、とある個人、あらゆるシーンには個人が連想する音楽がある。音楽は体験に紐付き、思い出は音楽を引き連れてくる。その時々で耳を澄ますと聴こえてくる音楽がある。

 ある体験に付随した音楽を異なる音楽で上書きすることは難しいのだろうな、となんとなく思う。だから私自身の生き方への理念に付随した音楽がいまだに付いて回るのではないか、と。

 これを更新することはもうできないのではないかという気がする。更新してしまったら私は私でなくなってしまうのではないかとも思う。これまで私自身を支えてきた自分自身の証たる理念なのか対象なのかはわからないが、それを放棄し、社会というものに適応することはやはり怖いことで、心を決めて受け入れるなんてことが元来臆病な私にできるはずなどない。私はこの先も思春期の亡霊として生きることしかできないのだと思う。

 あの頃、私はけがれなき愛を探していた。けがれなき愛があると信じていた。世界は、社会は、大人は、汚れてしまった存在で、そこへ迎合しては愛にたどり着くこともないと思っていた。

 いま、私は正しさの剣を振りかざし、周囲の人々を傷つけては、愛にたどり着くためには必要な手段なのだと己を正当化し、社会への適応を拒み続けている。

 いつまでもこどものままではいられない。そうなのだと思う。だからいまの私はこの先の私を想像することができない。

 思えば14歳の頃から大人になった自分など想像できなかった。時が経てば勝手に大人になるのだろうと思っていたが、そうではなかった。

 あの頃から10年が経っている。生誕してから干支が二周もしたというのにまだこどものつもりでいる。

 いま、大人になりきれずに前職を辞めてから最初の夏を過ごしている。休職の申請をしたのがちょうど一年ほど前だ。

 気づけば8月も終わりで、まだまだ暑さは健在だが、朝晩はいくらか過ごしやすくなってきているように思う。

 こうして時間は過ぎ去る。黙々と世界は回る。時は淡々と何かを連れ去り、何かを連れ出してくる。

 ゆるやかな時の中を、私はただ部屋の窓から差し込む光を浴び、ぼーっとしながら青空に目を向け、気の向くままに飛行機雲を探してみたりしながら過ごす。

 それを肯定するのも否定するのも私自身でしかないのなら、私は私が信仰するものをただ信仰するしかないのかもしれないのかもしれない。

 毎年夏のうだるような暑さに不快感を抱きながらも、徐々に遠のいてしまうと感傷的な気持ちがわきあがってくのはなぜだろう。

 夏の幻。

 瞳閉じて、一番最初に君を思い出すよ。

 私が思い出すのは、もういなくなってしまったとある音楽グループだった。

 あらゆる苦難から逃避し続けるこの日々が、いつか終わる儚いゆめだったとしても。

私の腕を切り落としたい

 自意識が強くあらわれてしまうことが苦手だ。私は自意識を嫌悪してしまう。己の自意識に気づくと、その嫌悪から死を渇望してしまう。身体を粉々にし、意識を分散させたくなる。
 例えば、ひとに会う。ある特定の他者を積極的に意識すればするほど、他者と対峙する存在として私という意識が際立ってくる。あなたと会う。見る。話す。触れ合う。笑い合う。そうした時間は楽しく、喜ばしく、嬉しいもので、幸福な体験といえる。快い気分のままあなたに別れを告げる。帰路につく。電車に乗る。夜道を歩く。自宅へ到着する。どの段階で何をきっかけにどんな心境の変化があるのかはわからないが、いつの間にか快調だった感情はどこかへ消え去っており、代わりに鬱屈とした感情を抱えている。あなたと会っていた私。見ていた私。話していた私。触れ合った私。笑い合った私。主観だったはずの現在が、わずかすぎる時を経て、客観的な過去として自らの姿を投影し、脳裏を支配する。
 この手が。この身体が。この目が。この顔が。この姿が。他者に意識されたこと、他者に意識されたことをきっかけに私に意識されていること。不快で、傷つけたくて、逃げ出したい思いが、快であった記憶を塗りつぶしていく。
 私の目に、私の腕から指先が映る。肌という膜で覆われ接続された腕や指先という部位は、私の意志によって動かすことができる。いま私は指を動かして文字を打ち込んでいる。正確にいうならば、文字を打ち込もうとすると勝手に指が動く。私にはなぜこの指が私の思ったとおりの文字をPC画面上に表示させてくれるのか理解ができない。あるいは、私の中で言葉が生成されてから文字が表示されているのか、文字を表示することで私の中に言葉が生成されているのか、その前後関係すらも見当がつかない。この指は本当に私なのだろうか。この腕は。この身体は。この言葉は。この意識は。この私は。どこが私で、どこからが私でないのかがわからない。
 私のような私でないような私のものとして存在する私の腕が、徐々に自らの所有物であると認識できなくなってくる。この腕が気色悪い。私の視界で、私であるかのように動くこの物体が気色悪い。自らの身体という他者を無性に傷つけたくなる。肌をかきむしりたくなる。いっそ腕を切り落としたくなる。
 私の身体に接続されているこの腕を切り落としたら、切り落とされた腕はその後も私のままでいるのだろうか。切り落とされた腕を見る私は、切り落とされた腕を私であると認識するのだろうか。試してみない限りには答えはわからないが、おそらく私の腕は私から切り落とされた時点で完全に私ではなくなるような気がする。だとすれば、身体を構成する各部位を切り落としていけば私は私という核にたどり着けるのだろうか。これも試してみないことにはわからないのだが、こちらの答えはおそらく否であるように思う。
 しかし、切り落とされた腕のそばで、切り落とした腕を見つめ、切り落とした腕なる物質が私であるかのように振舞っていた過去と私であるかのように振る舞えなくなった現在とを、脳内で往き交わせることができたなら、私は私という自意識から解放することができる気がしてならない。私という意識の脆さを、意識が持つ虚構性を自覚できる気がしてならない。
 切り落とされた私の腕という物質は、自己と他者の中間に位置してくれるだろう。かつて自己であったものとして。自己のように動いてくれたものとして。いま動かざるものとして。悠然と転がるかつて私だった腕。意志なるものの介入が不可能となった私の腕。
 私はこの腕を切り落としてみたい。切り落とされた腕を、ただ呆然と眺めてみたい。切り落とされた腕を抱えてあなたに会ってみたい。
 私。あなたの前にいる私。かつて私だった私。私の中に私はいない。私は私ではない。
 私は私について書く。私を置き去りにするために。思考や感情などといった得体の知れないものを自らの身体から切り離すために。拡大した自意識を分散させるために。
 この文字は。この言葉は。この文章は。かつて私だった私。切り落とされた私だった一部。

生活困窮日記26〜31日目

■25日目までのあらすじ

 『海獣の子供』を観た。

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■26日目

 午前、ホットケーキミックスを使ってマグカップケーキをつくる。

 即席ココアが余っていたことを思い出す。牛乳や卵によって液状化したホットケーキミックスにココアパウダーを入れる。電子レンジで温める。ココアの香りがする。口に運ぶ。やはりココアの香りがする。ちょっとおいしい気がする。

 昼過ぎ、バイトへ向かう。

 駅のホームにて、今日は兄の誕生日だな、と思う。

 

■27日目

 ハローワークへ求職相談に行く。担当の相談員は相変わらず一切の信頼が置けない人柄だな、と思う。一度抱いてしまったマイナスの印象が後を引き、接し方がいくらか雑になってしまう自分にすこし悲しくなる。自分は人にどんな印象を与えているのだろうか、とすこし不安になる。おまえは雰囲気が近寄りがたい、と中学生の頃に友人から言われたことを思い出す。

 帰りにATMで通帳記入を行う。先月に行った工場バイト2日分の給与振り込みを確認する。

 夜、シャワーを浴びようと洗面所の扉を開ける。床を這い回るゴキブリを発見する。大きめの生物が許可なく自宅に存在しているのは不快だ、と思う。言語による意思疎通が可能な相手でもないため、仕方なく洗剤をかけて呼吸を停止させる。

 

■28日目

 昼過ぎ、バイトへ向かう。バイト先へ行く前に本屋へ立ち寄る。ベルクソンの『物質と記憶』を図書カードで購入する。どうせ難しくて読み切れないのだろうな、と思う。

 バイトへ行く。22時近くまで勤務する。

 夜、瓶に注いだ牛乳へ挽いたコーヒー豆を投入する。冷蔵庫へ入れる。眠りにつく。

 

■29日目

 朝4時、起床する。

 前日に仕込んだ牛乳出しコーヒーを飲む。コーヒーの油分で増した牛乳のなめらかさを舌の上で感じる。牛乳のコクとコーヒーの香りが脳に刺激を与える。快楽を感じる。一気に目がさめる。

 アマゾンプライムで『ひとりぼっちの〇〇生活』を一話分観る。観終わったのち、バイトへ向かう。

 バイトが終わる。帰宅前に図書館へ寄る。どうせ読みもしない小難しそうな本や小説を数冊借りる。

 帰宅する。図書館から借りてきた『ぼくはきっとやさしい』(著・町屋良平)を読む。

 言語によって身体への意識を促すその描写は、言語ながら言語に否定的で、言語によって言語からの解放を試みているようにも感じ、禅や茶道の思想性すら感じ取れる。

 日々文字を扱う文筆家という人たちはすべからく言語の限界、言語の弱さを身を以て知っているのだろう。でも特に町屋良平さんはそこに意識的であるようにも感じる。他作品も読んでみよう、と思う。

 

■30日目

 ベルクソンの『物質と記憶』を読む。やはり内容が難しく、一向に読み進められない。次第に眠くなってくる。これはいかんと思いながらアイスコーヒーを淹れる。アイスコーヒーを口から勢いよく流し込む。いかにも深煎りな苦味と香りが口内を漂う。まだ眠い。本を開く。やはり眠い。本を閉じる。横になる。眠りにつく。

 

■31日目

 午前、市が提携している人材紹介会社との求職面談をする。自前で作った資料を提出する。すこし褒められる。

 午後、業務用スーパーへ行く。納豆3パックを9個購入する。計27パックの納豆が入ったビニール袋をぶら下げ帰宅する。

 夜、浅草へ行く。友人と待ち合わせる。友人と合流する。カフェへと歩を進める。日記について感想をもらう。彼は私の書く文章をいつも褒めてくれる。書いた文章に感想をもらえるとうれしい。

 コーヒー無料券を利用してエチオピアのコーヒーをエアロプレスで注文する。コーヒーを飲む。ベリー系の華やかな香りがやわらかく嗅細胞を撫でる。会話をする。会話ができてうれしい。

 店を出て、餃子店へ向かう。ビールを飲む。辛味で和えられたもやしを、肉野菜炒めを、餃子を食べる。ビールを流し込む。文集を作りたいんですよ、と言う。やるときは参加するよ、と返答してもらう。自分の考えに賛同をもらえるとうれしい。構想している企画に参加してくれると言ってくれてうれしい。

 全額ご馳走してもらう。何から何までお世話になっていることに感謝と申し訳なさが入り混じった感情が込み上げてくる。優しくしてもらえてうれしい。優しくしてくれる友人と出会えてうれしい。友人がいる事実がうれしい。

 うれしいってなんだろう。

 帰路につく。「人生遠回り」をテーマに文集つくりたい、とツイッターに書き込む。フォロワーやフォロワーのフォロワーなどから少し反応をもらえる。反応をもらえてうれしい。

 本当に企画書をつくってみようかな、と少し思う。うまくいくかわからないけど、うまくいかなくてもいいから何か動き出してみたい、と少し思う。

 少しずつ自分の思いを行動にしていくことが、行動できている自分の姿を見せることが、親切にしてくれている友人たちへの心ばかりの恩返しになればいいな、と思う。

 

生活困窮日記25日目

■24日目までのあらすじ

 塩キャラメルラテのアンチになる。

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■25日目

 6月もちょうど半月過ぎた。

 今月分の食費を確認すると15日時点で4,173円と上々のペースで過ごせているような気がするが、この間は母から送られてきたレトルト食品や市役所からの食糧支給に頼っていた部分も大きい。調味料の減り具合も気になるこの頃で、更には最近なぜか食欲が旺盛になってきたこともあり、月末には1万円を超えてしまう気がする。

 昼、ホットケーキミックスを購入する。

 支出を減らすためになるべくお菓子を買わないよう心がけていたが、やはり甘いものを食べたくなる衝動は定期的にやってくる。甘いものへの欲求を満たすべく生活にお菓子は必要であると判断し、それでも毎日お菓子を購入していては生活に支障が生じるため、ならば自作してみようと検討した結果、ホットケーキミックスを使ってレンジでマグカップケーキをつくるのが、時間的にも費用的にも低コストで済むと判断した。

 ホットケーキミックス、たまご、牛乳、マヨネーズをマグカップに入れる。スプーンでかき混ぜる。電子レンジで2分ほど温める。液状だったそれは膨張しながら固形と化す。

 出来上がったのは素っ気ないパンでしかないのだが、できたての温かさとほのかに香る小麦の甘味は貧しい食生活をわずかに彩るには十分すぎるほどで、私の食欲は余計に加速することとなる。

 夜、映画館へ行く。

 先日、ムービーチケットをもらう機会があり、節約のために見逃そうと思っていた『海獣の子供』を観ることができた。

 『海獣の子供』、海と宇宙の物語。

 海、宇宙、そして生命。これらのキーワードから、テレンス・マリック監督の映画『ボヤージュ・オブ・タイム』を思い出す。

 『ボヤージュ・オブ・タイム』は、ドキュメンタリーという体をとり、CGを駆使しながら、宇宙の一元性を再現した作品だ。

 宇宙が誕生する。宇宙に原子核が生まれ、元素が恒星をつくる。恒星の内部では更なる元素が生まれ、恒星の爆発によって元素は散布される。惑星が現れる。地球が現れる。地球の大地が変遷する過程で、有機物が現れる。原核生物が現れ、原生生物が現れ、多細胞生物が現れる。神経細胞が現れ、多様化すると同時に集合を作り、神経系を構築する。外部からの刺激に多様な運動で反応し、各々の個体は環境に合わせて姿形を適応させていく。

 私たちがヒトとして、人間として捉えているいまの世界。それは宇宙の一部であり、また、宇宙全体でもある。宇宙の長い歴史の一瞬であり、また、永遠でもある。すべての宇宙は、諸々の原子によって構成されており、原子の連続性に包括されている。人間は、生物は、自然は、宇宙の連続性の中に集約されている。

 『ボヤージュ・オブ・タイム』では、ナレーションで繰り返される「母よ」という台詞によって、宇宙誕生時点に存在していた粒子が姿形を変えながら現在を構築しているという連綿性が示される。子はへその緒を切られるまでは母の一部であり、その母もまた、子として別なる母の一部であった過去を持つ。生命の母は海であり、海を所持する地球の母は元素を所持する宇宙である。

 その筋ではよく言われることだが、私たちの体は星くずでできている。『ボヤージュ・オブ・タイム』があくまでドキュメントと称して描く内容はそういうことだ。

 『海獣の子供』でも、同様の主題が扱われる。ファンタジーの世界で、とある少女のひと夏の物語によって、宇宙という世界が一元性が示される。

 我々は、この一元の世界を、言語によって二元的に認識する。

 言語、あるいは言葉。人間は、言葉によって一を分断し、差別をつくる。物を分けることで、物を分かる。半分に断ち切ることで、判断する。理に従って分解することで、理解する。通常、人為的に二元の対立差別をつくることで人間は思考する。

 しかし、「一番大切な約束は言葉では交わさない」と本作は強調する。主題歌『海の幽霊』においても「大切なことは言葉にならない」と歌われる。

 『海獣の子供』において、言葉に対する過度な信用は否定される。

 二元的解釈しか成し得ない言葉というツールは、世界という情報の一部を圧縮することしかできない。よって、言葉は真理を破壊する。言葉は、真理を破壊した罪を常に背負っている。

 主人公・琉花は、言葉によるコミュニケーションのもどかしさを感じる。人間が行う言葉中心のコミュニケーションは、言葉というツールの解像度の低さゆえに、対象と対象の関係性に不協和を生じさせる。

 冒頭、琉花は部活動のチームメイトと喧嘩をする。怪我をさせる。部活動の顧問に怒られる。

 言葉で事情を説明することができない。言葉で説明してもどうせわかってもらえない。言葉で謝罪をしたところで、互いの気持ちが晴れ、関係が修復されることもない。

 この冒頭のシークエンスで、早々に言葉の無力さを突きつけられる。

 描かれる教室の背景に「博愛」と書かれた書写の作品や「自分より相手を大切に」と書かれた標語が皮肉のように描写される。

 言語で記されたメッセージの意味を受け手は解釈こそできるが、実感することはできない。たったワンフレーズに込められた意味を血肉とすることなど当然できない。だから私たちは経験を必要とする。言葉ではなく、体験によって、物語によって真意を掴もうとする。

 だから、『海獣の子供』という物語で到達しなければならない境地がある。

 ジュゴンに育てられたという少年・海と空は身体を密着させることでコミュニケーションを図る。また、琉花と海はたびたび手を繋ぐ。琉花と空は口づけをする。言葉を用いず、肌と肌を、互いの身体を接触させることで、彼らは対象の存在を感じ取る。言葉の無力さを知る彼らは、感覚によるコミュニケーションを積極的に行う。

 現代は言葉であふれている。街を歩けば、あらゆる隙間を埋め尽くすように言葉がひしめいている。広告が、案内が、説明が、文字という姿で行き交う人々に迫ろうとする。あるいは、スマートフォンを開けば、世界のあらゆる情報が文字によって公開されている。SNSにより、文字を読み書きする行為がより身近になり、有史以来最も人々が文字を読み、文字を書く機会が多い時代となっていることは明らかであり、現に私もいま画面越しに文字を書いている。

 言葉は情報伝達を可能とし、コミュニケーションを成立させる。私は言葉を利用し、あなたに語りかける。あなたは言葉を利用し、私に語りかける。あなたは私の言葉を聞く。私はあなたの言葉を聞く。言葉によって、私とあなたは接続される。言葉は、私とあなたを接続させてくれる。

 そうかもしれない。でも少し待ってほしい。私とあなたは言葉によって本当につながれているのだろうか。本当に分かり合えているのだろうか。

 私は、あなたが語る言葉を理解し、反応する。いや、あなたが語った言葉の中から、私が認識可能な言葉だけを抽出し、その言葉から私なりの文脈における意味情報を取得し、私なりに解釈する。解釈した気になる。理解した気になる。あなたの気持ちを受けとった気になる。

 あなたは、私が語る言葉を理解し、反応を示す。私が語った言葉の中から、あなたが認識可能な言葉だけを抽出し、その言葉からあなたなりの文脈における意味情報を取得し、あなたなりに解釈する。解釈した気になる。理解した気になる。私の気持ちを受け取った気になる。

 あなたが私の知らない言葉を使った場合、私はあなたのいう言葉が途端に理解できなくなってしまう。私は、私が利用可能な言葉しか理解できない。私は、理解していない言葉を利用することができない。私は、あなたが語る言葉の中から、私が利用可能な言葉しか知覚することができない。

 結局、どれだけ言葉を交わしたところで、私はあなたの中から私を見つけ出しているだけに過ぎず、あなたの中に私を反映させているだけに過ぎず、つまり究極的にはあなたとわかりあうことができない。そうではないだろうか。

 ヒトが環境に適応する中で発達させた言葉なる器官は優れて機能的だ。が、絶対的に信頼できるものでもない。当然といえば当然のことではあるのだが、この言葉過多な時代において、どれだけ言葉の弱さに自覚的でいられているだろう。

  『海獣の子供』において、言葉に対する過度な信用は否定される。明確に、否定する。

 主人公・琉花は、たびたび水に包まれる。暴雨に打たれる。海に潜る。海に飲み込まれる。

 その肌に、その身体に、水をまとう。身体の感覚によって水を知覚する、自然を知覚する、宇宙を知覚する。

 琉花を包む水は、その面を隔てることなく、少年・海と空をも包み込む。海によって彼らは一体化する。

 私にはわからない。琉花が海になったのか、あるいは海が琉花になったのか。

 中国の思想家・荘子は「遊」という概念を打ち出したという。

 「遊」とは、何らかの目的意識に導かれることのない行為であり、世間的な人間社会の視座を超越することであり、作為的人為的なものを棄て去り自然に従うことである。

 『海獣の子供』のエンディングにて、冒頭で喧嘩をした部活動のチームメイトと琉花の関係が修復されることを示唆するようなシーンが訪れる。その場面では、相手が手に所持していたボールが落ち、坂道を下っていく描写がされる。ボールは、一見すると不規則ながら、しかし自然界の法則に従った人為の関与しないその動きで、為されるがままに坂道を転がる。

 『海獣の子供』。圧倒的な熱量が込められたそのアニメーション映像で、言葉の超越を、人為的なるものの超越を試みた作品。私はそれを観て、いま、言葉で語っている。言葉の限界を感じ、言葉の限界を自覚しながら、なお言葉で記述している。

 私は、本ブログにて、私の日常を記述している。今日受け取ったあらゆる作用の中から、知覚可能で、かつ、記述可能な範囲の事象を無意識に切り取り、その日のすべてであるかのように記述する。

 記述可能な事物の裏側には、記述不可能な事物がある。記述された一日の裏側には、記述しなかった一日があり、記述されなかった一日がある。明日記述する「今日」と、明後日記述する「今日」ですら、きっと異なることだろう。

 私は日常を記述する。昨日の出来事を。今日の出来事を。おそらくは、明日の出来事も。

 インターネットに公開している以上、記述された記述可能な範囲の私の日常を、私以外の誰かが読んでくれるかもしれない。私が記述した今日の出来事を読んだ誰かが、そこに書かれた言葉からその人自身を見出すかもしれない。

 言葉は便利だ。言葉があるから、私とあなたは交信ができる。私があなたを分かろうとしたり、あなたが私を分かろうとすることができる。

 でも、私とあなたは分かりあうことはできない。

 それでも、私とあなたは分かりあうことができない、と知ることができる。

 だからこそ、言語という器官に依らずして、私は他者の実在を知覚する、知覚したい。あなたの存在を感覚的性質によって確かめたい。

 私は書く、あなたがいるから。あなたの存在が、私を書く行為へと至らせてくれるから。

 私は書くことが好きだ。言葉が好きだ。言葉の弱さが好きだ。真理を破壊する罪を、言葉と共に抱えていきたいから。

 夜、映画『海獣の子供』を観終えた。

 映画館を出て、自宅へ向かった。

 いつだったか、とうとつに海へおもむき、海沿いや砂浜を散歩したときの記憶がよみがえってくる。

 はてしなく広がる海。水平線は一直線に伸びているけれど、どこからが海で、どこからが空なのかは、はっきり定かでない。海から吹きこんでくる風は圧力を与えてきて、全身にまとわりついたのち、身体の火照りを連れて通過していく。その瞬間に鼻をわずかに刺激してくる潮のかおりが気持ちいい。

 波が、耳をくすぐるような音を立てながら、砂浜を行ったり来たりしている。陸と海の境目は曖昧で、私はけっきょくどこまでが陸で、どこからが海で、どこからが空なのかすべてわからないようだ。

 私は歩く。足を動かす。波打ち際に付けた足跡は、波がきてすぐにかき消される。

 なんでもないいつかの夏の記憶。

 ここのところ、だいぶ気温も上がってきた。まだ6月の半分だけど、あっという間に今年も夏がくるのだろう、と思う。

生活困窮日記22〜24日目

■21日目までのあらすじ

 『オズの魔法使』はおもしろい。

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■22日目

 午前、徒歩30分先にある業務用スーパーへ向かう。納豆3パック39円を6つ購入する。納豆の商品化に際し、からしの付属が定着したのはなぜだろうかと疑問に思うが、調べるほどのことでも頭を悩ませるほどのことでもない。浮上した疑問符はたちまち頭の片隅へと引っ込んでいく。

 前々日、バイト先で提供しているドリンクの試飲をしたことを思い出す。
 塩キャラメルラテ。牛乳にエスプレッソを加えたものに、キャラメル風味の甘いシロップを追加した飲料。
 スウィートでリッチな味わいを連想させるネーミング、上品で優雅な見た目とは裏腹に、添加物をふんだんに利用したシロップで人工的な甘味が加えられたその代物は、お世辞にも美味しいと言えるものではない。
 カフェラテという一つの完成された品に、塩キャラメルという付加価値を与え、差別化を図り、購買意欲を煽る。ここで行われていることはマイナスイオン効果のあるドライヤーや水素水などの開発過程と近いように思う。
 買い手にとっては、塩キャラメルラテという飲料の人工的で単調な味わいなどもはや問題ではなく、「塩キャラメルラテ」という記号こそが商品であり、この記号がもたらす華美なイメージこそが重要なのだろう。人工的な甘味が欲しいのであればコカ・コーラを飲んだ方が安上がりであり、味のクオリティだって断然に高い。
 ドリルを買う者が欲しいのは穴である、とはマーケティング界における有名な格言だが、嗜好品を買う者が求めるものは必ずしも味覚体験であるとは限らない。

 午後、アマゾンプライムで『追憶の森』という映画を観る。
 日本を題材にスピリチュアルな世界が描かれる物語に既視感を覚えたが、本作の監督を務めたガス・ヴァン・サルト氏の他作品を調べたところ、4年前に観た『restless』という作品が同監督による制作であるとわかり、そこでも日本×スピリチュアルが題材にされていたと思い出して納得する。

 「日本」にスピリチュアルなイメージを抱く者がいるように、私は「塩キャラメルラテ」に飽和した資本主義のイメージを抱く。

 

■23日目

 バイトへ行く。
 ハートランドの瓶をひたすら開栓し続ける。
 客の多くが酒を飲み、アルコールの後押しを受けて場が盛り上がっている状況であるならば、こちらもアルコールを摂取しながら勤務をしても許されるような気がしてくる。
 喉の渇きを潤そうと、ジンジャーエールを口に流し込む。

 

■24日目

 午前、市が提携している人材派遣会社との面談を行う。
 職業興味検査なるものを受ける。社会的興味、研究的興味、芸術的興味が高いと結果が出る。職業例としては、政治学研究者、看護師、ケースワーカー、カウンセラー、社会学研究者が該当するらしい。ピンとくるような気もするが、ピンとこないような気だってする。
 この手の検査は占いのような類で、自分にない視点を自分事化しながら獲得することに意味があるものだ。実際のところ人に接する仕事、奉仕する仕事に対する関心は高いのだが、研究者や看護師などは提示されたところで従事できる職でもなく、結局は結果を踏まえて自分がどう考えるかが重要であり、残念ながらいまの私には職について真剣に考える気力は備わっていない。

 午後、バイトへ行く。
 勤務が終わり、余ったサンドイッチとドーナツをもらう。
 帰宅後、サンドイッチにかぶりつく。生の野菜は美味しいな、と思う。

 

■25日目 

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